2010年5月31日月曜日

絶対にちがう!!!

数週間前に手はつけたものの、2歌以降放置しておったSolea Por Buleriaの歌詞採り(耳コピー&歌詞カード検証)を再開する。

今回は手元にたまたまあって、口元が動画でも確認できそうなので、Baile Flamenco Ⅲ(DVD)のバイレがパストラ・ガルバンさんの奴だ。

男二人の歌い手が交互に歌う。5歌のコード進行もクールで、踊りも非常にかちょよい。

だが、、歌詞カードと画像をにらめっこしながら、有線のそこそこのヘッドフォンでボリュームを上げ上げにし、HD&DVDレコーダーの”必殺”10秒戻しボタンを狂ったように押しまくり、何度聞き返しても、歌詞カードの通り歌っていない部分が数カ所有る。どんなになまった発音でも、この言葉をいっていなだろーーそれってツッコミたくなる。

ツッコミその1
歌詞カード Y ESTO QUE ME ESTA PASANDO
耳コピー結果 ちょかぁめぼんばぁ~ ぱぁ~さんどぉ~

ツッコミその2
歌詞カード LO QUE A DIOS , PRIMA, LE DEBO EN VIDA LO ESTOY PAGANDO
耳コピー  こんぱにぃえらたみあ~でこはぁ~ でりぃかみあぁ~ えんう゛ぃだぁ~ ろぉちょい ぱぁ~~ あ~がんどぉ~

ツッコミその3
歌詞カード QUE PAGUE FATAIGAS GARANDES
耳コピー  けぱぁ ぜぇ~ ふぁ~


ちがうじゃねーーーか、、、全然、、、、どう読むとこうなるのだ?
いや、きっとまったく違う歌詞をうたっているのだろう。

まあ、いままでもそんなことはしょっちゅうあったから、もう驚かないが、、、、

そうなると、後はもう完全に耳コピーの世界。歌詞カードがないと思えば、これが普通なのだから、まあいいか。

だが、ここで問題なのは、スペイン語として通じるのか?どうか?
耳コピーで書きつづったひらがなが、いったいなんの単語なのか、前後の文脈から推測できない自分には、もはや、単に日本古来の童謡をそのまま聞いたとおり覚えて歌う外国人のような状態だ。

耳コピーにはメリットもある。
どの文字を発音し、省略し、文節をどこできって、”あぃー”とか”じゃー”とか歌詞カードにない言葉も、自分のひらがな歌詞カードにかいて、それっぽく歌うのに、威力を発揮することがある。
よって繰り返しマークを極力使わないようにするが、ネック裏譜面台の、面積に制約があり、今回は5歌まで(しかもその後ブレリアも三つ+〆歌)あるので、やはり、X2などの繰り返しマークを多用する。その時は、やむなく、DVD添付の歌詞カードに記載のない発声部分をカッコ書きする。

過去には、そんなこんなでやっと覚えた歌詞を、踊りに合わないからという理由でことごとく却下されたことがある。

この踊りには、あの歌が欲しい、、、、だと、、、、

そのたびに、その歌を採ろうとするが、歌詞が無かったり、原曲がなかったり、、、それでまた原曲を何とか入手して、耳コピー、、、、

耳コピーではいつまでたっても、正確なスペイン語になっていないきもするが、歌詞と全然違う言葉を発している場合がこれだけ多いなら、それはそれで、聞いたとおりの発音で(若干違っている可能性は有るにせよ、、)歌えるようにしておくのも、今は必要なのかもしれない。

ギターのファルセータはときとして、プロスペイン人の真似をした、日本人ギタリストの真似をすると、ちょっとずつ違うコピーが二度もしくはそれ以上重なることで、丁度よいアレンジ具合になったりすることがままあるが、、、

歌に関してはそうはいかない。
まちがった発音で歌っているかもしれない日本人の歌を参考にして、それを歌えるようにするより、スペイン人が歌っている奴を音源にして、聞き込んで、聞いたとおりのひらがな歌詞カードをスペイン語歌詞カードみながら作成し、それで歌える用にした方がきっと、いいはずだ。もちろんスペイン人が歌っている奴がすべて完璧とは言えないのだろうが、、、、それにいい加減な一握りのスペイン人の歌い手よりも正確な発音で歌っている日本人プロも沢山いるのはわかってはいるが、、、、、、

でも、逆に、きっちり発音できないスペイン人なら、こういう風に歌っちゃう、、、、とか、、、それはそれで有りなのかもしれない。きっちりスペイン語を発音できない自分には丁度よいのかもしれないし、、

希に、スペイン語の歌詞カードどおりに、きっちり歌おうとする日本人の歌い手をみていると、それじゃないとスペイン語にならないことは十分わかるのだが、音楽的に、、歌唱法的に、、、コンパス的に、、、踏むべき韻的に、、、、フラメンコ的に、、、、それでよいの?かどうか、、、、非常に疑問に思う場合がある。

歌い方が、人によって自由であることも、、、痛感する。。。

日本語なまりのスペイン語でなにがわるい?ってひらきなおったりもする。でもやっぱり、それっぽく、極力スペイン人に通じて、なおかつ、かっちょよい歌い方で、完璧に耳コピーして歌う、、、、いや唸りたいものだ。。。だからこそ、原音の選択に気をつかう。。。

フラメンコの歌は、、、そう、、、、歌っていると言うより、、、唸っているように聞こえることが多い。

それっぽく聞こえりゃ、まあそれでいいかぁとおもって始めたこの作業だが、高望みは果てしない。しかし一向に上っていかない。。だが、少しずつでも、発音修正をしていければ、、しないよりはましだろう。

歌詞が重要なのは、わかっているつもりだが、ギター弾いて、歌の旋律の音程をわざと弾かないようにコードの和音に気を遣う自分には、、フラメンコの歌は、多種音質を発する楽器の一つであり、その発音は、意味が通じることよりも、かっちょよい音程、音質で繰り出されることをついつい重んじてしまう。B'zのいなばさんや、マイケル・ジャクソンさん・桑田佳祐さんがやっていたように、歌詞の響きがわるいからと、全然違う言葉をつくってしまったり、明らかにあり得ない発音をしたり、、、発音がかっこいいから、この言葉を選んだんだろうなーと容易に想像がついたり、、、、

他にもっといろんな音が出せる可能性が有るのに、それをやらずに「にゃー」だけ唸っているのでは、この曲がったへの字の口がもったいない。

2010年5月27日木曜日

カバルとアカバラドス

「シギリージャ マチョ」でGOOGLE検索をかけたら、パロの紹介のなかで見つけた言葉。「カバル」「アカバラドス」
http://www.esflamenco.com/palos/jaseguirilla.html
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ギター

常に中間、モードスケールで弾かれるが、時折メジャーコードで軽いサポートがある。この部分はカバル(シギリージャの締め)に似ていることから、“アカバラドス”と称される
基本のキーは次の通り:
A –B フラット
カンタオールに異なる音調を求めるにはセヒージャ(カポタスト)が必要である。いつも左手の同じ位置で弾かれるからだ。歌の間の転調はAメジャーとB♭メジャーで、“エル・マチョ(一部のカンテで締めに用いられる詩)”が歌われる時はDマイナー、Cメジャー、B♭メジャーが続き、Aメジャーで終わる。
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数少ないシギリージャ伴奏の記憶をたどる。。。「軽いサポートとして弾くメジャーコード」とはFで弾く部分のことであろう。
これを「アカバラドス」というのは全然知らなかった。こんどは、
「アカバラドス」をググったが、検索結果はみつからなかった。
そして、カバル、、、これも初めて聞く言葉だ。
やはりググっても、フラメンコのなかでつかわれる「カバル」の結果が出てこない。

で、数ヶ月前にヤフオクでゲットした、書籍 フラメンコ百科のフラメンコ小辞典を調べる。「アカバラドス」はなかったが、「カバル」の語彙解説はあった。

新フラメンコ百科(パセオ)より----------

カバール(カバーレス)
cabal(cabales)
①(形)完全な。②[形式]シギリージャ・カバール(シギリージャス・カバーレス)→早わかり(シギリージャの項)
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で、、シギリージャの項のページ(フラメンコ早わかり)へとぶ、、

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(抜粋)
シギリージャの一種にカバール(複数形でカバーレスとも)と呼ばれるスタイルがあります。後歌やカンビオ(替え手)から転じたと言われ、長調で歌われます。曲調は伸びやかながら、詠唱の難しいものです。シギリージャの最後に歌われることが多いようです。
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これで、ピンときた。シギリージャのカンテソロの音源で聞いたことがある。ほぼ曲が終わりに近づいたあたりで、、なんだか明るく陽気な歌になっちゃったなーー、シギリージャってこんなに明るくおわっちゃうんかぁ????と思っていた部分のことみたいだ。
たしかに、一歌の途中、後半あたりでそんな雰囲気を瞬間的に耳にしてて、あわててFのメジャーコードに替えることがあるが、、、それが「アカバラドス」ということになるようだ。

今日も、マチョで撃沈し、ようやく、マチョ部分だけのコンパスコードひらがな歌詞付きすかるすぺしゃるあんちょこの作成に乗り出そうとする矢先のオベンキョであった。。

とおもったら、知人のブログにしっかりカバールの記載があった。。調べたりなかった自らを反省、、、
カバルではヒットしづらいが、「シギリージャ カバル」「シギリージャ カバール」なら参考サイトが沢山ヒットした。
「アカバラドス」は自分が見たサイト以外はやはり見つからなかった。

もしかしたら、、、カバルににている、、、、というスペイン語そのままか、、、、、一つの言葉じゃないのかなーー? だめだ、、、よくわからない。。辞書にもそれらしい言葉がない、、、


acabar 動詞 ;;を終える、 完成する、 完了する  は見つかるが、、、

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この日記を書いた翌日、尊敬する歌える(そして踊れる?)先輩ギタリストからありがたいコメントをいただいた。

a + XXX + ar って形は大体「XXXにする」って意味になって
例えば acercar (近づける)って単語は a(に) + cerca (近く) + ar (する)。
で同様に acabalado は cabal を a + cabal + ar にしたものの分詞型。
というわけで、スペイン語の通常の意味では「完了した」だけど、
ここでの意味は「カバルっぽくされた」だと思うよ。

感謝の念とともに、スペイン語の勉強の必要性を痛感した。。。。

2010年5月25日火曜日

戦場のタンゴ・デ・マラガ

ひと月に一度、火曜日のモダミカアネックスに弾きにいく、クラスレッスン、、、、毎回必ずタンゴ・デ・マラガを弾き歌う。。

先月までは、カンテサリーダ後のファルセータ6コンパスは、最初の師匠にならったファルセータをアレンジした4コンパスものを、前後に一つふって(1+4+1)使っていた。

たまに、ビセンテ・アミーゴのシリアの瞬間(とき)の1番を、一つふって弾いていたが、いつもことごとく、最後の4コンパス目から5コンパス目にかけて、メディオっぽいフレーズになり、おどりと半コンパスずれては、先生に駄目だしを喰らって、弾くのを断念してきた。

そこで、、、、

新たに、構想、アレンジ、練習、修正に約1年、ようやく最近実戦配備が完了できそうになってきたショパンのノクターン遺作をつっこむ野望に燃える。

「戦場のピアニスト」で使われた、有名な曲、、、
当然自分の耳には、その途中でつかわれた、ナポリの6度が鮮明に耳にのこっている。

これを思い立ったのは、平原綾香さんの「カンパニュラの恋」

を聞いたときだった。。あれからもう1年くらいたったろうか、、、
ナポリの6度出現以降の後半部分は、元祖ショパンのピアノ曲ではなく、カンパニュラの恋のコード進行を採用した。

で、、過去のレッスン動画を幾度となく見直して、当てはめていく。

この作業、試行錯誤で非常に時間がかかるが、楽しい。今回は、出だしのほんの僅かな部分しか、踊りに当てはめることはできなかった。

本来なら、目の前の踊りを見て、瞬時にそれに見合うファルセータや、コード、寸法を見極めできればよいが、経験不足の自分には、まだ非常に難しい。

ファルセータの(コンパス)寸法は事前にわかればそれに超したことはないが、たまに、即興で弾くときは、多分4だろうとか、しまったあと二つあった、とか、やっぱり8の奴をくりだしゃよかったとか、どっしゃーーー1+4+1だったのかぁ?とか、、、、後悔あとに立ちまくったりする。

歌に関してもそうだ。
タンゴ・デ・マラガの後半のTANGO歌は特に寸法がまちまちのような気がする。

最近ようやく、タンゴ部分の寸法、入り口が、踊りの動画検証をしてなんとなくわかるようになったものの、目の前で瞬時にそれを判断するのは、入り口はともかく、コンパス数は判断できない。となると、自分のなかで4コンパスの歌を繰り出すべきか、その最後の1コンパスを繰り返して5コンパスにするか?
このクラスレッスンでも、弾き歌いをするからなおさら神経質になる。
歌わないですめば、こんなに苦労はないのだろうが、、、だが、歌わないより、歌える方がきっと勉強になるだろう。。で、弾き歌う。。。(昨年夏、初めて、タンゴ・デ・マラガを歌ったときは2カポのEmが限界だったのに、最近は、なんとか、カポ無しAmでも調子がよいと声がひっくり帰らずに済むようになった。)が、、

後半のTANGOの部分に突入すると、、、2,3,4,5,6各コンパス数の歌を、繰り返しでもよいから持っていないと対応できない。

しかも、歌が二つ、三つ、へたすると四つあったり、、、
動画有ればこそ、踊りみて、その寸法、入り口が判断できる。

いまは、これの繰り返しで踊りを瞬時に判断できる能力を養うしか方法が無いかもしれない。

このショパンのノクターン遺作(戦場のピアニスト)、Am調でアレンジしたので、ゆっくりした4拍子系、、、、そう、E 調のティエントや、当然ファルーカでも弾けそうな気がする。

E調のティエントは、自分の周囲にほとんどキーの低い男性歌い手が居ないせいか、弾く機会がない。だが、自分が歌うときのキーにちょうどこのE調カポ3位で合っているので使い回しが可能だ。

ともあれ、初めて、タンゴ・デ・マラガで繰り出す戦場のピアニスト、、、
初めての時はいつも緊張するが、それを緩和するものは、常に、練習しかない。。。。動画をみながら、、、、ボリュームを絞って、、、

題して、、、

「戦場のタンゴ・デ・マラガ」


こんな風に、溜めまくって弾くことは、踊り伴奏である為できないので、コンパスに乗っ取ったアレンジをしなくてはならなかった。しかも、トレモロを表現するときに同弦では、ピアノのような余韻がなくなってしまうので、常に違う弦で半音差を弾いたりする。。こういう作業が、また非常に試行錯誤の繰り返しだ。そんなこんなで、、、、、

ギターアレンジするときに大いに苦労して、最終的に落ち着いた、トレモロの回数、、、、

途中の二拍9連、1,5拍5連、更にもう一度出てくる二拍9連、そしてとどめの、4拍22連が、踊り易いように弾くとなると
とてつもなく、難しい。が、やりがいがある。

偉大な名曲を生んだショパンさんに、、敬意を表しながら弾いていたら、夜が明けたみたいな気がする、、、、
防音マットレスで外はまったく見えないが、、、、

2010年5月22日土曜日

◆ガットギター回顧④「主よ、人の望みの喜びよ、」



主よ、人の望みの喜びよ、 カンタータ147番 J.S.BACH
さらに、、
埋め込みができなかったが、村治佳織さんの素晴らしい演奏、、http://www.youtube.com/watch?v=Jmx2vXM3VQE&feature=related
NHK教育テレビの「ギターを弾こう」でアントニオ古賀さんが弾いていた、「荒城の月」「さくら変奏曲」などをコピって弾いていた中学生時代、、いまからかれこれ36年くらいまえだろうか、、

その後高校では鉄弦フォークギターにながれたものの、大学に入って再びガットギターにもどる。。

大学時代、これほど難しい編曲ではない、もっとかんたんな「主よ、人の望みの喜びよ」を弾いて遊んでいた;

当時在籍していた、K學院大学、スペインギター研究会では少数武闘派だったフラメンコ派にたいして、なぜか多勢だったクラッシック派に潜り込んでは、隠れて名曲と呼ばれる好きな曲の譜面をもらったりしていた。
フラメンコはかちょいいが、クラッシック的な音の構成、コード進行の複雑さがあまりなく、フォークソングみたいな3っつのコードで、結構何とかなってしまいがちな曲が多いのがちょっと悲しかったからだ。

そこに現れたのが、神、パコ・デ・ルシアさまだ。。。。。 おりしも、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルたちとの共演でジャズの息吹をふんだんに盛り込み、ファリャ、ロドリーゴのアランフェス協奏曲などで、クラッシックの鮮やかな色まで、彼のその手で表現していた頃だったろうか?

彼は譜面も見ず、(アランフェス協奏曲で初めて彼は譜面を呼んだとの記述もあるが、、)クラッシクギタリスト顔負けの指使いと音使いで、しかも超絶テクニックで、フラメンコを奏でた。。。。。
最強とはまさにこのギタリストの事だと思い心酔した。

今、伴奏の修行をしていてよく悩むのが、美しく素敵な旋律で伴奏することへの不安、、、
自分で奏でたい伴奏は、最前線の踊り手さんの舞を、更に魅力的にするための音作りの過程で、ソロギターのようなフレーズを弾いてよいのか?、クラッシック的なメロディを組み込んでよいものか?、非常に悩む。
それがどれほど美しい旋律であっても、フラメンコから逸脱してしまわないか?
そっくりそのまま弾くのではないにしろ、いつも悩む。踊りの邪魔をしていないか?本当にこれでよいのか?

「日本人はフラメンコ以外の曲を取り入れたがりがちである」と揶揄するひともいる。
だが、そんなとき思い出すのは、、
アドリアン・ガリアさんの言葉、、、
---「フラメンコの踊りは純粋、かつユニバーサルな芸術であるとアドリアン・ガリアは考えています。すべての人がフラメンコを踊ることが出来ると確信しています。しかしそのためには、ただ先生の動きを見て、真似ているだけでは、十分とは言えません。コレはもっと複雑なモノであり、同時に単純なモノでもあるのです。芸術としてのフラメンコは景色や、その人の在り方や、感情次第なのです。それらは何も、ひとつの国に限られた財産では無いはずです。私たちの住む地球上の、たとえどんなに奥深い所にも存在し、現に、画家や、彫刻家、作家、音楽家は世界中にいるのです。そして踊りも例外ではないのです。いくつかのパソを真似ているだけで、それがフラメンコだと錯覚を起こさないようにしましょう。150年以上前に、インドのジプシーや、ユダヤ人、モーロ人、スペイン人がやっていたように、私たちも、このフラメンコの世界を作り上げ、豊かなモノにしていきましょう。本来の姿である自分自身を表現して、フラメンコ芸術をユニバーサルなモノとして感じましょう。それが理解できていれば、フラメンコの演奏や、歌や踊りは、全てに人にとって簡単で、自然なモノとなるでしょう。踊りを作り上げて行くには、感情の他に、私たち全てが持っている、道具が必要です。それは身体です。踊りのテクニックを通して、その身体を鍛えましょう。訓練してフォームができあがり、練習を重ねれば、自然と感情が入ってくるモノです。クリエーションはそこにあるのです。」-----
アドリアン・ガリアさんのフラメンコ舞踏入門のナレーションから、、、

そうかぁ、、、自由でよいのだ、、、、(彼は踊り手であり、ギタリストではないから、上記文章が、伴奏には当てはまらないかもしれないから、ちょっといいように解釈しすぎかもしれないが、、)




その後、日々の練習、人間関係、その他、諸々のストレスを、いとも簡単に吹き飛ばしてくれたのは、
この歌声、、、、

天使の歌声のすてきなおねぃさま達の魅力にノックダウンをくらったのは、、数年前だ。。。
パコ同様、このおねぃさまたちも、最強だった、、、、

つややかな歌声と添い遂げるように流れるオーケストラは、踊りに添い慕うように弾けと言わんばかりの掲示を与えてくれる。心洗われるこの曲は、主旋律と副旋律、そして伴奏の調和と融合のなんたるかを美しすぎる余韻を残しながら、教えてくれる。こんな三位一体がやりたい。

2010年5月17日月曜日

♪タグルマン[34歌]

(デビルマン替え歌シリーズ第三十四弾)
(作詞・蜘蛛の糸にすがるすかる)

タグルマン(たぐる男)のうた   

♪ あれはぁ 誰っだっ 誰っだっ 誰っだっ
♪ あれはぁ たぐっるっ たぐッルッマァーーーン
♪ タッグゥーールマァーーーーーーン

♪ すがりーーついてはーー ことーごーとくぅーーー
♪ 無情ぉーに ちぎれーてくー 蜘蛛の糸ーーー

♪ つかめそうなのにつかめない、
♪ とどきそうなのにとどかない、、
♪ 地獄の沼でぇ上見ては、、、
♪ 明るい天空目指すのさぁ、、、、

♪ ほーーそい 糸ーがーーーー
♪ 切ーれーーーぬーーようーーーー

♪ そっとぉーーーー引いっ張るぅーーーー
♪ タグルマァーーーーン、 タ・グ・ル・マァーーーーン

---フラメンコピラミッドの最下層の更に下の排水溝あたりから這い上がるために、えええっとコレは何ミクロンかな?というくらい超極細の蜘蛛の糸をたぐってすがって登り始めるも、すぐにぶちっと音をたてて切れて、また血の池地獄のような泥沼にぽっちゃんと落っこちて、いつまでたっても、光溢れる天空のフラメンコの楽園にはい上がれないのに、また性懲りもなく泥沼のなかで、細い糸を探したぐりよせようとする、堂々巡りを地でいくさもしい己への自戒をこめて、自らに捧ぐ---


[注釈]
●蜘蛛の糸 自分だけが、地獄から極楽へはい上がるために蜘蛛の糸にすがりつきはい上がりつつ、後からのぼってくる奴らに「おりろ、重くて糸がきれてしまうではないか。。とっとと手を離せ!」と利己主義炸裂のセリフを叫んだ瞬間、釈迦の逆鱗に触れたのかどうかはわからないが、自分の直上の糸が切れて真っ逆さまにまた地獄へ堕ちていく芥川龍之介様の小説。

2010年5月12日水曜日

♪ユデルマン[33歌]  (非フラメンコネタ)

(デビルマン替え歌シリーズ第三十三弾)  
■■■奥様一口メモシリーズ第1弾■■■ (一話完結予定)
(作詞・ゆでたまごんすかる) 
ユデルマン(ゆでる男)のうた  

♪ あれはぁ 誰っだっ 誰っだっ 誰っだっ
♪ あれはぁ ゆでっるっ ユデッルッマァーーーン
♪ ユッデェーールマァーーーーーーン

♪ 今日もーー微細なぁーー ヒビぃーーを入ーれーたーーー
♪ 生のーー卵をーーー ゆでーてるおっとっこーーー

♪ 水から煮沸し12分、
♪ その後一気に水冷ましー、、
♪ 運良く真っ二つに割れりゃー、、、
♪ 伊藤家に感謝するオレさー、、、、

♪ レーーートルトカレーーーーも
♪ こーんーーーよーーくだぁーーーー

♪ 今夜もーーーー ゆでーーるぅーーーー
♪ ユデルマァーーーーン、 ユ・デ・ル・マァーーーーン


---モダミカANEXの帰路、高田馬場で友人の経営するもつ鍋屋、もしくはアマジャか光麺食べに寄ろうかと思ったが、あまりにも軽い左胸の二つ折りの黒い奴にたしなめられ、喫煙所でネオシダって速攻西武拝島快速に飛び乗って帰宅し、さもしくナベに入れたぬるま湯の湯面上空約2CMから水深約7cmの鍋底に生卵をおとして、白身が外に出ない程度のほんの僅かなヒビを入れながら、レトルトカレーとともにゆで始め、今夜は豪勢に冷蔵庫の片隅にあったウインナーを2本1、別途湯煎し、若干の贅沢気分を味わう、非常に悲しいリーズナブルな己への自戒をこめて、自らに捧ぐ---

[注釈]
●微細なヒビ---「伊藤家の食卓」直伝の技。生卵をゆでるとき、ほんの微細なヒビをいれることにより、ゆであがった時に真っ二つに割れる可能性が高まる。ヒビの入れ方は様々だが、湯沸かし器から若干熱いお湯をナベにはってコンロにかけ、その水面(湯面)上空約2CMくらい(水深により適宜調節)から生卵を落とすことにより、ナベ内側底面に着地した生卵に微細なヒビを入れているすかるである。失敗してヒビが大きすぎると、ゆでている最中に白身部分が外に出てきてしまいとてもえぐい、かつ悲しい事態になるので、ゆで卵職人として必至な熟練の技が必要である。
理論的には、微細なヒビからお湯が卵の内側に進入し、殻と内側の幕の僅かなすき間(数ミクロン)にお湯がしみこむことにより、ゆであがったときに殻がはがしやすくなる。というもの。

●水から煮沸し12分---湯沸かし器のお湯から煮沸する場合は10分にする。。

●その後一気に冷ます---コンロから取り上げたナベはそのままシンクにおいて、一気に水道水で冷却する。これにより、更に気分爽快・真っ二つに割れる確立が高まる。。これも伊藤家の食卓直伝の技である。。

●レトルトカレーも混浴だ---定番メニューレトルトカレーは最初に卵を入れた後、かったるいのですぐにナベで混浴させる。ゆであがりは、まずレトルトカレーをサルベージし、ナベを傾けて熱湯をすて、そのままナベに残ったゆで卵を大量の水道流水で一気に冷却する。流水なら約一分間位か?。卵を取り上げたとき手に熱さを感じないくらいまで急速に冷却する事が重要である。


注意・上記方法を実践しても真っ二つにならないこともある。

★★★伊藤家の食卓直伝の技はほかにも各種あり、いまでも重宝しているテクニックがいろいろある。
Tシャツを店の棚に置かれているようなたたみ方をするのに5秒の神業、
絶対にほどけないちょうちょ結びなど、、、、
未だに当時録画しまくったビデオテープが捨てられない。。

2010年5月7日金曜日

◆ガットギター回顧③「悲しき願い」

「悲しき願い」  サンタ・エスメラルダ

このイントロはまさにその後の我がギター人生の方向性を決定づけたと行っても過言ではない。。。

1975年、小学5年生(11才)だった。。。。

ものすごく小さくてちゃちなラジカセではじめたエアチェック、、

この曲以上に興奮した曲はほとんど無かった、、、

テープが本当にわかめになるくらい巻き戻しては聴いて、巻き戻しては聴いて、英語の歌詞をカタカナに起こした。。
なんだかいまとやっていることはかわらん。。↓

で、、、、おぼえた。。。めちゃくちゃな発音で。。。

「べいべっ どうゆう あんだすだんどみーなう・・・・・」
「さむたいむえうりだりろがーーーーーー」詳細は記憶がとんだが、
ひとりで口ずさんでほくそ笑んでいたわれながら暗い小学五年生だったかもしれない。。

大人になるにつれて、このイントロの良さが脳のなかで膨らむ一方だった。。

当時から一人では不可能なコントラパルマ(実際はコントラではなく、パーカッションみたいだが)をバックに従えて、このイントロを弾きたくて弾きたくてしょうがなかったもんだ。。

30年以上たって、やっとタランティーノがKILL BILL採用してくれて、悶絶した。このながーいパルマバージョンは、どうやら当時ラジオからながれていたショートバージョンには無く、、、フルバージョンの間奏の途中に流れている部分であり、映画をみるまで聞いたことがなかったのだ。
が、流れた瞬間、背筋がゾクゾクしてくる。。。
何度聞いても昇天するほどかっこいい。

今やるなら、ルンバの頭につかえる。。。

たまに伴奏するラ・タララの冒頭、、、きっちりパルマをおねがいしてこれをやりたいといつも思うのだが、どうせなら、ギター二本あった方がかっちょええ。。


そうこうしているうちに最近の映像も。。。

リメイクもまたしぶい、、、


前半なんか、、、まんまフラメンコじゃねーか。。。。
それより、なにより、、、、、おおおおおおおおお!!!!
このバスの前で弾いているおっちゃん、、、なんだかアル・ディ・メオラに似ているなーとおもったら、
どうやら本人だ、、、、、

それよりも、、、なによりも、、、、、
彼アル・ディ・メオラの弾いているギター、ヘッドがパコと同じコンデ・エルマノスの二本角の闘牛ヘッドだ。
しかも、噂に聞いていたパコと同じギターでディ・メオラが特注したカッタウエイ仕様だ。暗いからはっきり見えないが、側面が黒っぽく見えるのでおそらく両用(独奏・伴奏両用)のAF25R(パコと同じモデル)と思われる。
通常のいわゆる「白」と呼ばれる伴奏用フラメンコギター、コンデ・エルマノスA26には、カッタウエイがラインナップされていた。
←A26-CE(唯一EFシリーズ以外でコンデ・エルマノスのWEBカタログにのっていたカッタウエイモデル)のカッタウエイは、ホワイトに近い色(いわゆるサンバーストではなく)で、なめらかな曲線で作られているのに、彼がコンデ・エルマノスに特注したAF25R?のカッタウエイは、ばりばりやる気みなぎるとんがったカッタウエイだったのだ。。。
彼がパコに対していかに敬意を払っていつつも、自分だけのギターを作りたかったのかが伝わってくる。
初めて見た。。。なんだか凄い感動だ。きっとこの世に一本だけのディ・メオラ特注AF25R-CE(カッタウエイ)AL DI MEOLAスペシャル、、、、、、、、
念のため、その他画像を物色してみる。と、、「両用(独奏・伴奏用)ではない白(伴奏用)」でサンバースト色のカッタウエイを手にするディ・メオラの画像を発見した。。だが、どちらにしてもこのサンバースト色のA26-CE(カッタウエイ)はカタログにはラインナップされていなかったはずだ。やはり特注なのであろう。













個人的には、通常コンデが作るカッタウエイのラインの方が好きで、いまでもEF4-CE
を物色しているが、、、









この動画に対する参考ページ・・・ http://fgmc.blog87.fc2.com/blog-date-20081102.html 


さらに、、、

大ヒットさせたサンタ・エスメラルダに敬意を表して、、、、


40年近く経ってはじめて映像を見た。。。。ショートバージョンだが、、、、

かちょえええええええええええ!!!!!!!!!!!!

だめ押しは、あのながーいパルマとパーカッションが途中ででてくるサンタ・エスメラルダ版フルバージョン10分以上だ!!!!(映像はアニメだが、、、)



ディ・メ・オラの追加画像はこちら→(ただしmixyやっている方のみ、、)http://mixi.jp/view_album.pl?id=48834308&owner_id=7024298&mode=photo

2010年5月2日日曜日

♪キョドルマン[32歌]

(デビルマン替え歌シリーズ第三十二弾)
(作詞・キョドルすかる)   

キョドルマン(キョドる男)のうた

♪ あれはぁ 誰っだっ 誰っだっ 誰っだっ
♪ あれはぁ きょどっるっ きょどッルッマァーーーン
♪ キョッッドォーールマァーーーーーーン

♪ 「怪しいーっ奴」のぉーー 名をー受ーけてーーー
♪ 冷たぁーい視線ーー浴ーびては わっらっうー[ヘッへッ]

♪ シャワーキャップを持ち歩きーー、
♪ ブーツの上からそれを履くぅ、、
♪ 丑三つ時の行進でぇーー、、、
♪ タンギージョをうなりまくるのぉ、、、、

♪ あーーぶない オーラァーーーー
♪ かーーもーーーしーーだすぅーーーー

♪ 挙動ーーーー不ー審なぁーーーー
♪ キョドルマァーーーーン、 キョ・ド・ル・マァーーーーン

---土足禁止ではないスタジオなのに、なぜか周りのギタリストがみんな靴を脱いでいるのを見ながら、自分だけ持ってきたシャワーキャップを靴の上から装着し、がんがんブーツ音をたてたり、頭のてっぺんからつま先まで真っ黒な服装で、全くと言っていいほど人通りのない夜中の昭和記念公園南側歩道を、黒光りする大カブトムシのようなギターケースをランドセルのように背負って両腕を前後にぶんぶん振りながら、大声で「ぁあああああああけじょどぅーーろあんてぃーーーごけたんてんくわーいでろんきゃぶるぁああああああ・・・」とタンギージョをうなりまくって非常に規則的な、こいつは陸上自衛隊員か?と見まごう歩調で行進し、まず追いはぎでも近づきがたい雰囲気をかもしだしていて、自転車泥棒の検挙に精を出す警察官にも怪しすぎて声をかけてもらえない己への自戒をこめて、自らに捧ぐ---

[注釈]
●キョドる---若者語、挙動不審な行動をする。その他、メディオあたりでは、目が泳ぎ、なんだかそわそわしながら、周囲の視線を非常にきにして、心ここにあらずの弾き方になってしまっているすかるの様。また構成譜面をせっかく用意したのに、ネック裏超小型譜面代に装着するさい、折り方を間違えて、違う曲しか見れない状態になっているときなどに焦りまくる心が顔にでてしまったときのすかるの様。。
今日はちょっとのどの調子が悪いからカポひとつ下げてといわれ、それまで練習していたハイポジションへすっ飛ぶ華麗なファルセータが上手く弾けなくなりそうな気配を感じたときのすかるの様。。
ジャマーダ見逃して一時停止違反、加速不良、タパ専用道路への進行禁止違反、などの罪を犯してしまった直後のすかるの様。

★★★今日の一言
スピーダの皮を被った細かいパソにだまされてアクセルを踏むな。
本当のスピーダかどうかを見極めてから加速開始せよ。その際僅かに遅れても早とちりしてニトロに点火し加速してしまうよりはまだまし。
byすかる