2010年5月22日土曜日
◆ガットギター回顧④「主よ、人の望みの喜びよ、」
主よ、人の望みの喜びよ、 カンタータ147番 J.S.BACH
さらに、、
埋め込みができなかったが、村治佳織さんの素晴らしい演奏、、http://www.youtube.com/watch?v=Jmx2vXM3VQE&feature=related
NHK教育テレビの「ギターを弾こう」でアントニオ古賀さんが弾いていた、「荒城の月」「さくら変奏曲」などをコピって弾いていた中学生時代、、いまからかれこれ36年くらいまえだろうか、、
その後高校では鉄弦フォークギターにながれたものの、大学に入って再びガットギターにもどる。。
大学時代、これほど難しい編曲ではない、もっとかんたんな「主よ、人の望みの喜びよ」を弾いて遊んでいた;
当時在籍していた、K學院大学、スペインギター研究会では少数武闘派だったフラメンコ派にたいして、なぜか多勢だったクラッシック派に潜り込んでは、隠れて名曲と呼ばれる好きな曲の譜面をもらったりしていた。
フラメンコはかちょいいが、クラッシック的な音の構成、コード進行の複雑さがあまりなく、フォークソングみたいな3っつのコードで、結構何とかなってしまいがちな曲が多いのがちょっと悲しかったからだ。
そこに現れたのが、神、パコ・デ・ルシアさまだ。。。。。 おりしも、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルたちとの共演でジャズの息吹をふんだんに盛り込み、ファリャ、ロドリーゴのアランフェス協奏曲などで、クラッシックの鮮やかな色まで、彼のその手で表現していた頃だったろうか?
彼は譜面も見ず、(アランフェス協奏曲で初めて彼は譜面を呼んだとの記述もあるが、、)クラッシクギタリスト顔負けの指使いと音使いで、しかも超絶テクニックで、フラメンコを奏でた。。。。。
最強とはまさにこのギタリストの事だと思い心酔した。
今、伴奏の修行をしていてよく悩むのが、美しく素敵な旋律で伴奏することへの不安、、、
自分で奏でたい伴奏は、最前線の踊り手さんの舞を、更に魅力的にするための音作りの過程で、ソロギターのようなフレーズを弾いてよいのか?、クラッシック的なメロディを組み込んでよいものか?、非常に悩む。
それがどれほど美しい旋律であっても、フラメンコから逸脱してしまわないか?
そっくりそのまま弾くのではないにしろ、いつも悩む。踊りの邪魔をしていないか?本当にこれでよいのか?
「日本人はフラメンコ以外の曲を取り入れたがりがちである」と揶揄するひともいる。
だが、そんなとき思い出すのは、、
アドリアン・ガリアさんの言葉、、、
---「フラメンコの踊りは純粋、かつユニバーサルな芸術であるとアドリアン・ガリアは考えています。すべての人がフラメンコを踊ることが出来ると確信しています。しかしそのためには、ただ先生の動きを見て、真似ているだけでは、十分とは言えません。コレはもっと複雑なモノであり、同時に単純なモノでもあるのです。芸術としてのフラメンコは景色や、その人の在り方や、感情次第なのです。それらは何も、ひとつの国に限られた財産では無いはずです。私たちの住む地球上の、たとえどんなに奥深い所にも存在し、現に、画家や、彫刻家、作家、音楽家は世界中にいるのです。そして踊りも例外ではないのです。いくつかのパソを真似ているだけで、それがフラメンコだと錯覚を起こさないようにしましょう。150年以上前に、インドのジプシーや、ユダヤ人、モーロ人、スペイン人がやっていたように、私たちも、このフラメンコの世界を作り上げ、豊かなモノにしていきましょう。本来の姿である自分自身を表現して、フラメンコ芸術をユニバーサルなモノとして感じましょう。それが理解できていれば、フラメンコの演奏や、歌や踊りは、全てに人にとって簡単で、自然なモノとなるでしょう。踊りを作り上げて行くには、感情の他に、私たち全てが持っている、道具が必要です。それは身体です。踊りのテクニックを通して、その身体を鍛えましょう。訓練してフォームができあがり、練習を重ねれば、自然と感情が入ってくるモノです。クリエーションはそこにあるのです。」-----
アドリアン・ガリアさんのフラメンコ舞踏入門のナレーションから、、、
そうかぁ、、、自由でよいのだ、、、、(彼は踊り手であり、ギタリストではないから、上記文章が、伴奏には当てはまらないかもしれないから、ちょっといいように解釈しすぎかもしれないが、、)
その後、日々の練習、人間関係、その他、諸々のストレスを、いとも簡単に吹き飛ばしてくれたのは、
この歌声、、、、
天使の歌声のすてきなおねぃさま達の魅力にノックダウンをくらったのは、、数年前だ。。。
パコ同様、このおねぃさまたちも、最強だった、、、、
つややかな歌声と添い遂げるように流れるオーケストラは、踊りに添い慕うように弾けと言わんばかりの掲示を与えてくれる。心洗われるこの曲は、主旋律と副旋律、そして伴奏の調和と融合のなんたるかを美しすぎる余韻を残しながら、教えてくれる。こんな三位一体がやりたい。
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