2010年10月14日木曜日

七拍十日

弾丸海外旅行ではない・・・・

修行僧は生まれてこのかたパスポートなどもったこたぁない・・・・

だがなぜか・・・

あまり意味のない大型自動車および大型特殊自動車免許は持っている・・・・

そんなことはどうでもよい・・・・

問題は・・・・

ライフワークアレグリアス・・・・

マノロ・サンルーカル大先生・・・・


第三ファルセータ・・・・・

第2コンパスの⑥から・・・・

第3コンパスの⑫までの七拍・・・・

耳・目・触感・第六感・音感・拍感・・・・

すべての感覚を駆使したのに・・・・

このたった七拍分の音を採るのに十日もかかっちまった・・・・

こんなに遅遅としてすすまない音採り作業は・・・・

はぢめてだ・・・・

見えているのに・・・・

聞こえているのに・・・・・

何で採れない・・・・

我がアホだから?センスがないから?・・・・

だが・・・・

もう曲全体の半分以上採れて修正も加え続け・・・・

残りはもう少しだ・・・・

採れて弾けるようになった暁には・・・・

悦楽の・極楽の・平和な・満願の・楽園が・・・・

待っているはず・・・・

七拍に十日・・・・

大きく凹んだ心のくぼみに・・・・

たまった雨水がほんのりあふれ・・・・

ゲリラ雷雨シャワーでピカピカ綺麗になった・・・・

レジェ子のボンネットを一筋つーーと・・・・

流れ落ちる・・・・

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五拍目のベース音・・・・・・(上記日記の数日前、、)
第三ファルセータ・・・・


第2コンパス  4拍目あたりまではとれたものの、、、、

そこから先が何度聞いてもよくわからずぜんぜん進まない。。。。

やろうとしては放り投げ、、、またやろうとしては「わっかんねーーーーー」を連発して放り投げ、、、、第二ファルセータの運指修正に逆戻りしたりしながら、、もう5日くらい一拍も前進することなく、時間だけが経ってしまっている、、、、

この第1コンパス後半から第2コンパス末尾までのアセント外しのメロディーをクリアできれば、あとは、テンポ外しの架橋まで、ほぼアセントどおりで、恍惚の表情しながら弾けるかもしれないのに、、、

だが、、、本日ようやく、光明がさした。。。。

なぜ、いつまでたってもよくわからなかったのか???・


なんとベース音のAの音が5拍目にきている。。。。


こういったソロ・ギターで、メロディーがアセント外れているのは、たまにあることだが、、、なんと

ベース音までが、3,6,8,10,12上にないのだ。。。。。

この静かなメロディなら、1コンパスに1回、ないし2回くらいしか弾くことのないベース音、、、通常であれば、12,3,6,8,10のどれかで弾くであろうベース音が、、、、5拍目とは、、、、、懲りすぎにも程がある。。。

だから、迷子になる。。。

漫然と聞いているとベース音がアセントだと普通は思う。だが、、、その外されたベース音を聞いた直後に、

「おり?」となるのである。。。。


恐るべし、、、、、


メロディーのみならず、ベース音さえも外しまくるマノロ大先生。。。。

フラメンコ・ギター弾きは、必ずと言っていいほど、こういうアセントがわからなくなるような弾き方を好む傾向が有るように思う。

特に、各曲冒頭のギター・サリーダ(イントロ)などで、何となく聞いているとアセントを見失うことが多い。それがおしゃれなのか??

周りでパルマを叩く人が、一瞬叩くのを止める。。。見失っている証拠であることもあれば、弾いている自分自身さえもが見失ってしまうことさえある。

わかりづらい弾き方をするのは、周囲の人間の能力を見極めているのか?と思ったことさえ有る。

ついてこれないなら、それ以降、もっとわかりやすい弾き方をするのか?

ついてこれず、わからなくなって、パルマを止めてくれるなら、まだいい。

なかには、アセント外しでだまされた状態のまま、そのまま叩き続けられてしまう場合さえ有る。

それなら、まったく引っ掛けアセントのギターを聞かずに、メトロノームのように、数えながら淡々と12拍を叩き続けてもらった方がぜんぜんよい。

でもそれじゃおもしろくない。。。だからこそ、弾くときに足を踏んで、どれだけはずれたアセントのメロディを弾こうとも、足だけは、きっちり正しいアセントを刻み続けるフラメンコ・メトロノームばりに踏みたい。。

慣れている人ほど、迷走しかけたとき必ずギタリストの足を見てくれる。

訳のわからないいきなりの意味無しメディオとともに、なんでこんなに人をだまくらかすような弾き方しちゃうんだろう?混乱発生の源なのに???
とおもったが、、、
この駆け引きが、きっとフラメンコなのだろう。

間違えずパルマをたたいてる人が、ちゃんと聞いているかどうか?まったく聞かずに、もしくは、上の空で聞いて、体内フラメンコ時計の通りに叩いているのか?
逆に本気で聞いてくれている人が、明快なパルマでついてきてくれると、その人に対する敬意は跳ね上がったりする。。。
聞いていたら引っ掛けメロディなどで、非常に高い確率でアセントを見失う弾き方をするギャンブルにでる時こそ、きっちり正しいアセントの足を踏めるようにしつつ、考えなければならない問題だ。上半身で、アセント外しまくりのメロディーとベース音をひきつつ、足だけは、きっちりアセント刻む技術は、一朝一夕では、無理、、、身体にメロディの一粒ずつの拍数を刻み込み、この音だすときは、何拍目のアセント足を踏むという気の遠くなるような、修練が必要なのである。。このアレグリアスがライフワークになりそうな予感は、まさに的中した。。。

アセント迷走蟻地獄的メロディラインを弾くのはなぜか?

遊び?診断?見極め?意地悪?技術の誇示?はたまた、そのあと、アセント通りに戻ってきたときの安堵感=幸福感、、、、

迷走の度合いが高ければ高いほど、リスクは増すが、軌道修正できたときの満足感、何かを乗り越えた時の達成感、その落とし穴に到達する直前よりも増したかに錯覚する一体感・・・みたいなものが高まるのかもしれない。。。

フラメンコ・・・・深すぎる奥行きに舌を巻きすぎて、カメレオンになりそうだ。。。。

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