2009年、初冬だったろうか、、晩秋だったろうか、、
サラ・アンダルーサで見たスペイン人のギタリスト、エミリオ・マジャさんは、かっちょよかった。
あんまりかっちょよかったので、愛器コンデの裏板に、サインをしてもらった。
ギターもかっちょよかったのだが、そのときもっとも印象的だったのは、彼が伴奏しながらも、踊り手の顔から、まったくと言っていいほど視線をはずさなかったことである。
なんでこの人は踊り手さんの足を見ないのだろう?と非常に疑問におもったものだ。
自分に問いかける、、オレはどこを見ている?曲、熟練度などによっても違うが、、、
ほぼ踊り手さんの足だ、、60%くらいか?
その次に多いのは、自分の左手と、ネック裏に仕込んだ構成メモだ、、、20%
歌い手さんの口、、5%
踊り手さんの全体像5%、、、
さらに、もう一人のギタリストの左手、、3%
踊り手さんの目を含む顔の表情などは、最後の最後である。2%いや、曲中、余裕が無いと、一度も見ないことさえあった。
エミリオさんとは優先順位がまったく逆のような気がする。
踊り手さんは、歌がほしい時などは、歌い手を見ることはよくあるが、
ギタリストの顔を見ることは、あんまり無いとおもっていた。
あるとしたら、
●ファルセータ入り口などの確認時や、
●リハと違う振りやりますよーとか、
●なんかコンパス変じゃない?とか、、、、
●いま1取りの足やってんのになんであんた12取りで弾いてるの?
踊りづらいじゃん!!!!とか、、、
●レマーテ、、コンテスタシオン、メディオいくわよーーーーーーとか、、
●リハとは違う弾き方をしてしまったときとか、、
●構成譜面通りに弾かずに、パーツをふっとばしたとか、はたまたくりかえしちゃったときとか、、、当然なにやってんのあんた目線でぐさりとやられるのである。。
リハ・練習では当然鏡を通じてその視線が飛んでくるが、、
本番では鏡がない。くるとしたら、踊り手さんが客席側に背を向けたとき、もしくは、顔を伴奏陣に向けたときだ。
今まで失敗ばかりしてきたせいか?踊り手さんからのそういう冷たすぎて凍死しそうな視線に耐えかねた時期から、あんまり踊り手さんと、こわいから目をあわせたく無くなってしまったような記憶が、わずかにあることは有る。
一月ほど前だったろうか、なんで顔を見てくれないの?とある踊り手さんに言われたことがある。
そのときは何で顔をみにゃならんのか?よくわからなかった。
自分がなにかへんてこな弾き方をしたわけでもなく、テンポが変わるカンビオでも、、ジャマーダ付近でもなく、ましてや、そのあと特段何かあるわけでもなく、、、、、
アイコンタクトが必要とは思えないような部分で、、、、
で、、、、
決定的に言われたのは、、昨日の本番終了直後だ、、、、
踊り手:「どうしてこっちみてくれなかったんですか???」
すかる:「ええ?いつ?どこ?」
踊り手:「1歌(アレグリアス)3コンパスめくらいかなー。。。。自分の手ぇばっかり見てこっちみてくれなかったじゃないですかぁ」
歌に合わせて弾くだけの、、、特段なにか変化の予兆が有る部分ではない。。。踊り手さんもたしか、マルカールしながら周回していたような気がする。。。そんな部分だ。。。
強いて言えば、EからF#m7へいく途中のめんどくさい押さえ方の経過コードを弾くときに、目線が指板へ移ってしまう悪い癖が、今でも抜けない。
ましてや昨日はもう一人ギタリストがいたのでなおさらだ。同調するためには、もう一人の左手がB7にいくか、F#m7へ行くかを瞬間的に見てから判断するから、わずかに一瞬遅れる。面倒な経過コード押さえようとするとなおさら自分の左指に目が行ってしまうのだ。
すかる:「どうして、顔みたの??」
踊り手:「だって後ろ向いたとき、寂しいじゃないですか、、、、
だから見るんですよぉ。。。。」
なんと言うことだ、、、、
偉そうに「目指せ三位一体」とか口ばしっているのをものすごく恥じた瞬間だ。。。
踊り手さんは、踊りと伴奏の表面(音、舞、聴覚的、視覚的、)だけでなく、内面的にも一体となろうとしているのを、いままで自分はずーっとシカトしていたのだ。。
一番先頭で、、舞台の最前線で、、(きっと、、)たった一人で踊らねばならないプレッシャーと孤独のどん底で、観客の視線という集中砲火を浴びながら、、、、いま自分は一人で演舞を構成しているんじゃない、、、自分には信頼(?)できる味方(バック陣)がいるんだ、、、ということを再確認するためにアイコンタクトを欲しているように思えた。
それをいままで、ことごとく無視してきたのだ。いや、そんなことさえも気づかんかった自分を猛省する。タダ踊りに合わせてきっちりした音で伴奏ができさえすればいいと思っていた。なによりそれがもっとも踊り手さんに対してしてあげられるすべてだと思っていたが、、そうじゃない。
横でパルマをたたいていた別の踊り手さんにも言われた。
「なんでギター弾く自分の手ばっかみて、彼女を見てあげなかったのよ可哀想に、、、」
何も言えない。。返す言葉もない。声が出ない。謝ることすらできなかった。
機械でできないことをやっているから楽しいのに、、、、
人間同士がやっているから楽しいのに、、、、
そのへんの内面的一体感・共有すべき感情・同調させるべき精神的コンパスについて、まったく考えてこなかったことは、小学校5年生が1年生の教科書を目の前にして理解不能状態で驚嘆するような感じである。
踊り手さんが、いついかなる時でも、振り返ってギタリストの顔を見ても、余裕の笑みをかえしていたエミリオ・マジャさんの凄さに改めて震えた。
彼がまったくと言っていいほど、踊り手さんの足を見ないで顔を見ていたのはもしかしたら、、、、こういうことだったのかもしれない。。スゲー
彼のわずかに口元がゆるんで踊り手に返す微笑は、いまでも鮮明に脳裏に焼き付いている。
それにしても、、、なんで彼の顔はこんなに小さいんじゃ?
7cm以上あるヒールのウエスタンブーツを履いているおれより、背が高いのに、、
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